- 社長雑談
- 2025.08.18
ビリヤニ備忘録
初めてビリヤニを知ったのは、50年ほど前、日比谷三信ビル地下にあった「マハラオ」(のちのマハラジャ)でした。
ドーナツ型の黄色いライスの真ん中に、チキンカレーが詰めて?ありました。
のちにオーナーのコタリご夫妻にお会いした時、この話をしたら、「当時の日本ではビリヤニは全く知られていず売れませんでした。でもインド料理店ですからメニューに載せ、カレーとターメリックライスをあわせてお出ししていました」とお伺いしました。
その数年後、銀座中央通りのインド政府観光局2階にあった「アショカ」。
この時は、、デリーで使っているステンレスの楕円のカレーポットに、カレーをライスでサンドイッチした格好で、見た目は炒めたライスのみが見える形。
当時はインド料理と言っても、カレーライスが主流で、ナンもそれほど周知されていず、ランチにアショカでナンを頼んだら、まだ「タンドールの温度が上がってないから、揚げたバトゥーラでいい?」と聞かれた思い出があります。
その時代はどちらも日本米を使っていました。
バスマティライスが入ってきたのは、1995年の米輸入自由化からだと思います。
それまでは、インド人客が来るなど、必要な時は、インド大使館の知り合いオフィサーに個人用を分けてもらっていました。
パキスタンの友人にコメの輸出を行っているのがいて「バスマティ米40円/kgで買わないか?」と言われましたが、関税が当時341円/kgで船荷、荷揚げ、通関、保険諸々で500円を超えてしまうし、10トンも買えないのでできませんでした。
そして現在の日本では、ビリヤニ人気が高まり、若い料理人や経営者が、日本人独特の探究力でビリヤニを歴史や調理技術も分析し、美味しいものを作り出しています。
その探究心には頭が下がります。もしかすると、本国以上ではないかな?と思うほどです。
我々も、もうひと踏ん張りしなければ。